東京地方裁判所 昭和38年(ワ)11324号 判決 1966年2月15日
原告 日本住宅無尽株式会社
被告 国
訴訟代理人 石川秀敏
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
原告が本件土地(分筆前の一、六二〇番畑三反二畝六歩)について昭和一五年五月一五日訴外安藤源五郎から売買により所有権を取得し、その旨登記を経由していることについては当事者間に争いがないので、被告主張抗弁たる原被告間の売買契約の成否について判断する。
一、本件土地をめぐる当時の状況
<証拠省略>を綜合すると、本件土地を含む東京都北多摩郡昭和町大字中神の地域が昭和一七年から一八年にかけて陸軍航空廠の敷地拡張のための必要から、乙第一号証添附図面による大字中神一五二〇の一、二から同所一三〇〇の二の東端に至り南北に引かれた赤線を境としてその東側にあたる部分が先ず買収され陸軍航空工廠の敷地となり、西側はその後買収されて徴用工員宿舎の敷地となつた。本件(一)、(二)の土地は右東側の土地を売買するため分筆されたのであり、本件(一)、(二)の土地の境界附近に国鉄中神駅からの引込線が敷設され、本件(二)の土地の中央部に残る土堤の土留めから南は陸軍航空本部技能者養成所の構内として、その北は練兵場、ならびに物資集積所として使用されていた事実を認めることができる。
二、買収手続について
<証拠省略>綜合すると、本件土地を含む昭和町大字中神地区を対象とする買収手続は次のようなものであつた。
航空本部は先ず目的の土地の航空写真をとり買収予定地となすべき地域を地図の上に線を引いて確定し、該当する土地の所有者を土地台帳から探し出して名簿を作成する。次に町長を通して所有者を一ケ所に集め買収計画を発表し、所有者の仮承諾書を得る。その後、現地調査を行い土地の売買価額と地上の耕作物に対する補償額を算定し、所有者を代表する土地買収委員と価額の協定を行う。そこで、再び所有者を集め、売渡証書と登記承諾書に各々調印を求め、それらの書類をもとにして登記手続を済ませ代金を支払う。私有地の一部買収の場合は、分筆し、枝番号の小さい方を地主に残すこととし枝番号の大きい方は軍が買収して登記した。代金は各売主をして町長に受領権限を委任させ、町長を受領代理人として一括支払われ、町長から売主たる各所有者に渡された。支払時期は、登記完了後が原則であつたが、所有者が多数にのぼり手続が繁雑なために登記が遅れる傾向にあつたので、会計規則戦時特例にしたがつて、代金支払を先に済ます例が多くなつた。しかして、対象の土地が特定し売渡証書と登記承諾書に調印して売買契約が成立した時当事者の合意が確定したものとして扱われており、この時に所有権が被告に移転された。(このことは<証拠省略>からも認めることができる。)
三、本件土地の売買契約の成否について
以上認定したところと、<証拠省略>を綜合すると、
本件土地(二)は、その附近一帯と共に航空工廠の敷地拡張のため、昭和一七年初買収計画がたてられ、同(一)の土地はその後さらに施設拡張の必要から買収が行われ、右各土地の隣接地は勿論附近一帯が当時買収されて国の所有となつたこと、終戦前である昭和一八年中には本件土地のいずれも軍の用地として使用開始され、各種の施設がなされたこと、(<証拠省略>よれば隣地の軍使用開始は昭和一九年七月一〇日とあるも証人桑田政六の証言に対比して真に信用できない。)昭和一七年六月四日買収契約があつたとして、本件土地を(一)の一六歩(内畦畔一一歩)と(二)の三反二畝一歩とに分筆されたい旨の通牒が所轄税務署長に対し陸軍航空本部第三部長名で出されていること(乙第一号証)
終戦後も国は本件土地(一)(二)を国有財産として管理し来つたこと(乙第三号証の一、二同第四号証)
本件土地(一)につき昭和一八年三月四日売買成立したとして昭和町長に対してその代金一〇四円が隣接の一二五一番の三その他の土地の売買代金と共に一括して支払われていること、(乙第四号証)
などが認められ、国と原告(当時大日本土地住宅株式会社)との間で本件土地(二)を昭和一七年六月四日、同(一)を昭和一八年三月四日、他の土地買収と同様にそれぞれ当時国を代理する陸軍航空本部経理部施設課々員たる瀬野重知、村田保三らと原告の代表者又はその代理人らと直接に、そうでないとしてもこれら国の担当者と原告代表者との間の書面の交換により売買契約が成立したものと見ることが相当である。右契約につき作成された売渡書その他の契約を証すべき文書は本件において立証資料として提出されず、わずかに会計検査院に提出されたと思われる支払集計表(乙第四号証)と昭和町長を経由して軍より提出された分筆に関する通牒(乙第一号証)が存するのみではあるが、軍が終戦当時保有した一切の書類を指令により焼却したことは明らかであり、本件土地に関する契約関係資料も同時に焼却されたとも見られるので、かかる事情があり、すでに二十余年を経過している現在、証拠書類が乏しく契約に当つたものの氏名が確定できないからといつて右認定を左右することはできない。
また、土地代金受領につき原告より直接に国に対しての受領証はなく昭和町長が他の土地代金とともに一括受領しているのであるが、軍が土地その他の物件を民間多数の人から買受ける場合はその土地の公吏たる町長を経由して行う扱いが原則とされていて本件土地もこの例にもれず代金もまた町長宛に支払われていたことが認められ、かかる場合民間人としてはこの手続によることは何等異議なくその権限を町長に委任していたものと見るのが当時の状勢から当然判断されるところであり、町長の受領は即ち売主たる原告の代金受領と解し得られるところである。一方原告は、証人船橋公一の証言によれば住宅を無尽の方法で販売することを目的とした会社でその住宅建築の敷地として、昭和一七年頃は、本件土地を含めて四ケ所の土地を所有していたものであることが認められるところ、原告代表者本人尋問の結果によれば、本件土地については昭和一七年頃から昭和二四年頃までは管理のため、現地を視察しその他の方法をとつたことなく放置しておいたので、本件土地が軍に買収されたことなどは全く関知しないところであることが述べられているが、同原告本人は、終戦後の昭和二二年三月原告会社に入社したものであること同本人尋問の結果認められるところであり、終戦前のことは右本人の直接経験した事実とは云えずかつ、わずか四ケ所の土地しか所有しない前記営業目的の会社が当時戦争の為人手不足であつたとしても、その重要財産と思われるそのうちの一つの本件土地、その附近の土地が昭和一七年初頃より陸軍用地とし買収の対象となつていること、現に軍に使用され各種施設が為されていることを全く知らなかつたとは到底考えられない。
また、原告が本件土地の地租を昭和二三、四年頃支払つていることは<証拠省略>認められるけれど、本件土地は前記のとおり売買契約成立後代金支払、登記手続等が遅れ、所有権移転登記を為さずして終戦を迎え、書類の焼失によりそのまま原告名義で登記されているのであるから、所轄税務署としては、その名義人に賦課したとも考えられるし、これによつて前記認定を覆えし、原告の所有権ありとするに足らない。(尤も、証人西村吉義の証言によれば買収済の土地についてはその登記前に軍から税務署に従前の所有者に対し税を賦課しないよう通知していたものと認められるが、本件土地についてその手続が為されていたものか否かはこれを確知しうる資料はない。
次に<証拠省略>によれば、本件土地は、原告所有地として登載されており原告会社で購入後処分したような記載のないことが認められるけれど、同証人の証言によれば右土地台帳は、終戦後作成された(経理の補助簿-メモ帳を参考にして作つたという)ものであつて、本件土地を原告が取得した当時から遅くとも昭和一七年初頃から存していたものでないことが明らかであり右の帳簿の記載の正確性については直ちにこれを判定することができず右の記載があつてもこれを以て原告が本件土地の所有権者たることを肯定するに足らない。
以上説示により明らかなように本件土地(一)(二)は終戦前戦争目的遂行のため軍の買収するところとなり被告の所有に帰したものという外なく、原告としてはその重要な財産たる土地を、容易に軍に買収されて失つたことは現在から見れば同情の余地はあるが、当時の実情として国民一般が甘受していたところであるから、誠に已むを得なかつたものというべく、原告が被告に対し、本件土地(一)(二)の所有権の確認を求める本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用は敗訴した原告の負担と定め主文のとおり判決する。
(裁判官 荒木大任)
物件目録<省略>